すずひらのブログ

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アニメが市民権を得ていない時代にノスタルジー

アニメが市民権を得ていない時代を思い返し、ノスタルジーに浸っている。具体的には90年代後半から00年代中盤ごろ。好きだった作品でいうと『機動戦艦ナデシコ』『逮捕しちゃうぞ』『カウボーイビバップ』『無限のリヴァイアス』『スクライド』『灰羽連盟』『テクノライズ』『ターンエーガンダム』などなど。

この時代はアニメ=オタクが見るものという式が成り立っており、そんな日陰感を楽しみながら僕はアニメを見ていた。もちろん作品そのものが好きなのは大前提な上で、日陰感も楽しむという形。一石二鳥な楽しみ方だ。

アニメ業界全体が発する独特の世界観の中へ耽溺し、その中に生息する作品たちと戯れる。ちょっとイケないことをしているような気分になりながら作品へ没入する。これがすごく楽しい。

あるいは、世間的には単なる子供向けアニメを見て、この作品は実はとても普遍的なテーマを描いている名作なのだ。俺はそれが理解できるのだ。と悦に入っていたりもした。

アニメオタクを自称しており、それがアイデンティティになっている痛い奴だった。当時を思い返すと頭を抱えたくなると同時に、ほっこりと温かな気持ちにもなる。楽しかったなあって。

一方で2020年現在、アニメはすっかり市民権を得たと言える。市民権の具体的な意味は知らないけど、「アニメ好きって言っても日陰感がない状態」ってなイメージで書いてる。

現在のアニメ界隈は、かつてのような「日陰モノの安住の地」な空間ではない。テレビドラマを見る感覚で、誰でも手軽に楽しめる。

けものフレンズのようなビジュアルのアニメが社会現象化するなんて昔は絶対に考えられなかった。けものフレンズが名作なのは分かってるけど、90年代だったらけものフレンズを見てる=ロリコン扱いされるに違いない。中身なんて見てもらえず、第一印象の見た目だけで世間一般からは判断されていた時代だ。

『サイコパス』も、1期放映当時に商業施設などでたくさん宣伝ポスターを見た記憶がある。こういう硬派な作品であってもオタクが見るものっていう認識が昔だった。

現在と比較するとあまりの違いにビックリする。それほど大きな変化が昔から現代に至る過程で起きたってことだ。

現在はとても良い時代だと思う。同じ趣味の仲間を見つけやすいからね。それにアニメを好きな人が多いということは業界がそれだけ潤うということでもあり、質の高い作品が作られやすくもなっていると思う。昔と比べて明らかに作画の質が上がっており、アニメを見ていて制作側の疲弊が透けて見えてくるようなことも少なくなった。「全然スケジュールなかったんだろうな、この回……」という経験を昔は散々したものだ。

でも一方で、「世間からは理解されにくい魅力を俺は理解できる。俺はすごい。特別だ」という楽しみは味わえなくなってしまった。それがただただ名残惜しい。

この名残惜しさを覚えているうちに、文章で表現したくなってこの記事を書いた。きっと同じような感覚の人って僕と同年代の人(30代)には多いと思うので、「そうそう、自分もそんな感じ」と共感してくれる人がいたら嬉しいなあと思ってる。

「もしかしたらこいつもアニメ好きなんじゃね?」と推察した相手に対して、語り合う相手がほしい一心で勇気を出して「実は俺、アニメ好きなんだよね……フヒッ」というカミングアウトをするときの緊張感。返事が「え、マジか!うん俺も好きだよ」だったときの歓喜。明日は二人でアキバ行ってOVA探そうぜ!

OVAのワクワク感なんて異常だよ。テレビアニメとは明確に違う予算で作られた特別な一品。1話1万円でも出せてしまう。

あー楽しかったなあ……。

よくあるたとえ話だと、ずっと応援していたインディーズバンドがメジャーデビューして、ついに世界中でも大人気になったみたいな。だいたいこれと一緒だと思う。応援してたバンドが大成功してるんだから素直に喜べばいいだけなのに、どこか名残惜しさが残るっていう。

そういえば2006年に岡田斗司夫さんが「オタク・イズ・デッド」「オタクはすでに死んでいる」とか言ってたな。当時の僕にはよく意味が分からなかったけど、今ならオタキングが何を言っていたのか分かるかもしれない。

 

といった感じで2020年にもなって未だに昔のオタク文化に未練たらたらな気持ち悪い僕なんだけど、いい加減オタク文化へのノスタルジーとは決別して、純粋に作品そのものを楽しんでいけるようになりたい。

以上。