すずひらのブログ

気の向くままに書き散らしてるブログ

隣の芝生が青く見える病を治したい

これまでの人生において、隣の芝生が青く見える病に散々苦しめられてきた。起業して自分の会社を作った人。会社で出世している人。出世はしていないけど結婚して子供も作り自分の家庭を築いた人。特定の何かで才能を発揮している人。フリーランス。知名度のある人。イケメン。今までに青く見えた芝生の例を全てを挙げようとしたらそれだけで1万文字を超えるし日も暮れる。

青い芝生を見つける度に、足元に広がる自分の芝生と色を見比べ劣等感に苛まれる。俺の芝生は青くないぞ、濁った灰色をしているぞ。ここにいてはダメだ。俺も青い芝生が生い茂る幸せな場所へと引っ越そう。そう考えて引っ越しを試みた過去が幾度となく存在する。

そして青い芝生のもとへと無事に引っ越した僕は、その後の人生は万事OK幸せそのものでした、めでたしめでたしという事実は一つもない。

まず、青い芝生の広がる台地へ向けて出発はするものの、道中の険しさに挫けてしまうこと多数。軟弱な人間であるため仕方がない。

無事に台地へ到着できたとしても、いざ青い芝生を自分の足で踏み締めても上手くはいかない。確かに芝は青い。ところがその台地での生活が長くなるにつれて、確かに青かったはずの芝生がいつのまにかまた濁った灰色をしているのだ。あんなに青かったはずなのに、一体何が起こったのだ。

実は別に何も起こってなんかいない。外から見たら青い芝生も、間近でよく観察したら濁った灰色の斑点が沢山付いており、間近で見る時間が長くなるほど斑点ばかりに目が行ってしまうというただそれだけのことだ。

という事実に35年生きてきてようやく気付きつつある。少しの曇りもない青々とした芝生なんてきっとこの世には存在いない。どの芝にだってなんらかの欠点はある。資産家の息子にだって独特な苦痛はあるのだろう。そうであってくれ。

つまり大切なのは、隣の芝生を観察するときには良い面ばかりではなく悪い面にもちゃんと目を向けるということだ。

もちろん、悪い面なんか気にせず突っ走る人生だってあってもいいとは思う。ただ少なくとも僕は、突っ走りはあくまでも人生の一時期に留めておきたい。そして僕の人生においてはもうその時期は終わりとしたい。いつまでも悪い面に目を向けず自分の前後左右いずれの芝生も青く見えてしまっていると、右往左往してばかりでちっとも自分の今の環境を楽しめないからだ。そして何より、いつまでも自分に自信を持てない。

どこかで聞いた気がする「置かれた場所で咲きなさい」みたいな言葉。これとは違う。個人的にこの言葉は嫌いだ。あまりに消極的で受動的な響きに聞こえるからだ。

目標を持ち、より楽しい人生を送れるように思考を巡らし行動はしたい。しかしその際、今いる場所にだってなかなか青くて良い面はあるし、青々と生い茂りパラダイスに見える隣の芝生にも実は濁った斑点があるんだっていう事実は常に頭の片隅に置いておきたい。そういう事実を理解した上で、やはり隣の芝生に引っ越したいのなら引っ越すし、今いる場所で良いなら自信を持って定住する。そんな感じで今後は生きていきたい。